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闘病記

がんサバイバー: ある若手医師のがん闘病記がんサバイバー: ある若手医師のがん闘病記 2017/5/31

32歳の医師の胸に、がんが見つかった。「なぜ自分がこんなに目にあうのか」「がんがまた再発するのではないか」。急性疾患でもない、慢性疾患でもない、がんサバイバーシップ概念を提唱したモラン医師の闘病記がついに翻訳! 医師でもあり患者でもある稀有な視点から、長期入院・療養生活中の治療や日々の出来事、医療従事者や家族・友人との交流、医療システムの抱える問題などを鮮やかに描く。仕事を見つめ直したい看護・心理・医療の実務家や、新しい生活を築いていく若い当事者、家族の胸を打つ闘病記。

 


だけど、生きているだけど、生きている 2017/4/21

42歳まで健康診断結果はオールAでした…午前に手術、午後には仕事に復帰。誰にも言わずに、たった一人で乳がん闘病記。

 

 

 

 

 


私、入院しちゃいました ―根っからの“心配性私、入院しちゃいました ―根っからの“心配性"の私、ガン宣告から手術・退院までの一部始終―
2017/1/10

「手術の日までにガンが一気に進行することだってあるのでは」「縫合不全の確率5%、20人に1人もなっちゃうの」などなど、心配事は際限がない。降水確率0%でも折りたたみ傘を持って出掛けるほど著者が、ガンの発見から入院・手術・退院、そして現在までをありのままに綴った体験記。手術や入院の経験のない人はもちろん、医師や看護師を目指す人にも読んでもらいたい一冊。

 


ガンにも感謝!これが私の生きる道ガンにも感謝!これが私の生きる道 2017/1/20

静岡県内に特色のある美容室を5店舗展開する敏腕女性経営者の波乱に満ちた人生。複雑な家庭環境で育ち、美容師として社会へ。ガンでさえも積極的な心構えで乗り切り、現在の幸せをつかむ軌跡がつづられている。

 

  

 


転移以後 がん2000日 共生録転移以後 がん2000日 共生録 2016/11/21

内容紹介

前立腺がん切除から数年。忘れられた頃に告げられた、がん転移。抗がん剤治療を受けながら、がん治療とはどういうものか、「死」をどう考えたらいいのか、がんとともに生き続ける日々の暮らし。

著者について

1935年生まれ。放送局勤務で医療・高齢者福祉番組を広く担当。退職後は愛知みずほ大学、浦和大学ほかで高齢社会論などを講義。2006年には世田谷区福祉人材育成・研修センター・センター長を務める。


いま、希望を語ろう 末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」いま、希望を語ろう 末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」 2016/11/09

内容紹介

全米100万部突破。AMAZON.COM/《ニューヨーク・タイムズ》1位の世界的ベストセラー、待望の邦訳。

ポール・カラニシ、36歳、脳神経外科医。2013年5月、末期がんと診断される。

妻との新生活、夢の仕事の実現という未来が目の前から消えた。でも、希望は捨てない。

医療現場への復帰をめざし、夫妻の子供を望み、死の直前まで書いた。限りなく前向きな生の記録を。

著者について

1977年生。アリゾナ州キングマンで育ち、スタンフォード大学で英文学の学士号と修士号、さらには、ヒト生物学の学士号を取得し、ケンブリッジ大学で科学および医学の歴史・哲学の博士号を取得した。イェール大学メディカル・スクールを首席で卒業し、アルファ・オメガ・アルファ名誉医療協会の会員となった。その後、スタンフォード大学に戻り、脳神経外科の研修のかたわら脳科学の博士研究員として研究に携わり、アメリカ脳神経外科学会の最高賞を受賞した。


余命一ヶ月から生還した医師が伝える 生命力の磨き方(SIBAA BOOKS)余命一ヶ月から生還した医師が伝える 生命力の磨き方(SIBAA BOOKS) 2016/10/28

38歳で、右肺から心臓にかけて大きな悪性腫瘍が見つかり、余命1ヶ月を宣告された整形外科医の著者が、「健康は自分で創る」と決意。医療任せにするのではなく、「内なるドクター」と対話し、体や魂からのメッセージに耳を傾け、見事に寛解した。 本書では、医者でもあり患者でもある著者が伝授する「真の健康」を手に入れるための意識改革と、生命力の磨き方は単なる健康本ではなく、自分の生き方を見直すための指南書でもある。 本書では様々な健康法、意識改革のための情報などが盛り込まれている。古代から続く世界の健康法や、エドガーケイシー療法、食事療法、呼吸法、瞑想法など専門的知識も織りまぜながら、自分で健康を創ることの重要さを紹介する。 全体は15章から成っているが、どの章から読んでもわかるようになっている。興味のあるところを重点的に読んでもいいし、専門的すぎるところは飛ばし読みしても良い。書かれている全ての健康法を実行する必要もない。 本書を全て読み終えると、健康に対する意識が変わり、意識が変わったことによって、自らに合った健康法を自然に選び、実行する力がつく。読書には、是非、自分の手で健康を創り出せるという体験をして欲しい。


がん六回、人生全快 復刻版がん六回、人生全快 復刻版 2016/10/8

がん闘病記の決定版! 待望の復刻。

がん発覚が39歳。その後5回にわたる転移の度に、死を覚悟した私が、

会社を定年まで勤め上げ、元気に古希を迎えられるとは。

がんと心臓バイパス手術で七度転んだ私が、八度起き上がり、今も生きている。

「七転び八起き」の言葉そのままの闘病だった。

苦難を乗り越えたのは、私が特別だったからではない。

人間なら誰でも、苦難を受け止め、立ち向かう力を本質的に備えている。

それは自分で想像する以上のもので、いわば火事場のバカ力のようなものだ。

その力は、病気に対しては自らの病状をしっかり知り、必要な情報を手に入れることに向けられるべきであろう。


癌になったらやるべきこと、してはいけないこと癌になったらやるべきこと、してはいけないこと

癌で亡くなった女優の川島なお美さんを、1年以上にわたって治療していた著者が、彼女の病気の経緯をはじめ、彼女の受けていた民間療法や食事療法、近藤誠氏への反論、そして著者自身の基本姿勢などについて、赤裸々につづった問題提起作。

「川島なお美さんは、手術の前日まで、生きること、女優として進化成熟することに意欲を燃やされておられました。手術をする前もあとも、よく本を読み、私を含むさまざまな医師や治療師の意見を聞き、効果のあるなしはともかく、さまざまな治療を行われました。その川島なお美さんが残された手記と足跡は、すべての癌患者さんと癌を治療するすべての者の宝だと思います。」~本文より


余命半年、僕はこうして乗り越えた!~がんの外科医が一晩でがん患者になってからしたこと~余命半年、僕はこうして乗り越えた!~がんの外科医が一晩でがん患者になってからしたこと~

内容紹介

僕にはもう、「いつか」はない。だから、「今すぐ」やるのです--。

「何もしなければ進行胃がんで余命半年」と、ある日突然宣告された、現役バリバリのがんの外科医が、立場が180度変わったから見えたこと。

どうしたら、医師とがん患者の距離は埋められるのか? どうすれば、一日でも長く元気に、いのちの最長不倒距離を延ばせるか?

治療の選択、心構え、闘病のヒント、諦めない気持ち、家族との時間、そして誰かのために生きるということ……

がん患者さん、そのご家族、医療者の方、皆さんが読んでください。得られるものが必ずあります。

この本に涙はありません。がん闘病に必要なのは涙ではなく、冷静な判断力と、治療の正しい選択と、仲間と分かち合える希望。

出版社からのコメント

「本書は、現役の外科医だった僕が、がん患者になってから何を考え、どう行動し、どんな死生観を得たかを綴った記録です。

この境遇を利用して僕と同じような患者の皆さんを、勇気づけたいのです。できることはなんでもしよう、そういうマインドで毎日を生きています。

自分ががんにならなければ、多くのがん患者さんに対して、なんの疑問も持たずに、当たり前のように治療を続けていたと思います。

自分が治療を受ける立場になったことは、ある意味、自分の治療のやり方を検証する機会にもなりました」---西村元一

がんと診断されてから僕が行ってきたこと、並びに、自分の経験からやっておけば良かったこと8項目を詳しく述べます。~少々の反省も踏まえて~

1)いつがんが見つかってもいいように準備をする

2)がんと診断されたら(告知)

3)治療方針の決定

4)治療を受ける前に、まずはやっておくべきこと。やらないといけないこと

5)検査・治療中の注意事項

6)社会生活を送るにあたって

7)再発したとき

8)人生の最後を迎える準備  

私のブログ記事 今日の一冊(59)『余命半年、僕はこうして乗り越えた!』


治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ

40歳、脳腫瘍。42歳、白血病。5年生存率10%――

徹底的に調べつくして2度のがんを生き延びた、IT社長のすごい方法

30歳でIT企業を興して経営者となった著者は、猛烈に働いていた40歳の時に脳腫瘍、さらに42歳の時に白血病と、2回の異なるがんを経験した。5年生存率はそれぞれ25%と40%、かけ合わせると10%だった。

「幼い娘が成人するまでは絶対に死にたくない」、その一心で少しでも治療成績のよい病院を探し、辞書を引きつつ海外の論文を読み、医師ととことん話し合った。そうして心から納得して選んだ手術、放射線治療、抗がん剤治療の西洋医学のみで寛解し、45歳の今日まで生き延びている。

本書では著者が2度の闘病経験から学んだ、病を生き抜くヒントを丁寧に解説してゆく。地元の病院にすべきか、東京の病院にすべきか? 民間療法を試してみるべきか? がん患者にはなんと声をかけたらよい? など、病に立ち向かい、克服するための賢い患者の知恵が満載。

「患者さんが医療チームの一員となった試金石の記録。高山さんの“生き抜こうとする力"には、医師としてそして“同僚"として脱帽です」(東京女子医科大学先端工学外科/脳神経外科 村垣善浩教授)

「自分の病とその治療方針を徹底的に調べ上げ、納得して治癒を勝ちとる。見事です」(虎の門病院血液内科 谷口修一部長)

 


"老い"はこうして迎え撃つ! (仮) 

「体力維持プログラム」と「快老生活」実践の知恵満載 第1章 下半身を鍛えて“老化"を防ぐ! 第2章 「老けない体」をつくる“1日10分"の筋トレwith池澤智 第3章 生きることは食べることwith永山久夫 第4章 シニアに不可欠な質のいい眠りを! with三橋美穂 第5章 “天寿がん"を目指そう "老化"は下半身からやってくる! 65歳で大腸がんになり、4度の手術・闘病生活を経験した著者。古希を迎え一念発起し、肉体改造に取り組んだ。 自らの老いと向き合い、鳥越流の美学が詰まった健康法を初公開! 「カラダが10歳若返る筋トレ」「腰痛、膝痛、肩こり解消ストレッチ」など。 ロコモティブシンドロームが話題の昨今、生活にちょっとした運動を取り入れるだけで、「寝たきり」や「認知症」を遠ざけて"元気に大往生"が可能になる!


三六〇〇日の奇跡 「がん」と闘う舞姫三六〇〇日の奇跡 「がん」と闘う舞姫

「5年生存率7%」から、奇跡の10年生存を達成したひとりの女性の記録 数万人にひとりと言われ、いまだ明確な治療法の見つかっていない希少がん「肉腫(サルコーマ)」を突然告知された著者。 それから彼女の新しい挑戦がはじまる。 月刊「かまくら春秋」連載「『がん』と闘う舞姫」、「キャンサーギフト〜神様からの贈り物」を単行本化。

 

 


或るがん患者の戯言(たわごと)記或るがん患者の戯言(たわごと)記  

航空会社の訓練教官から神主となった著者。ひと一倍心身の健康には自信があったし、それなりに鍛錬、養生もしてきたつもりだったから、病気は「しない」と心得て「ならない」と自負してきた。ところが、突如がんを告知された。命と対峙して見えた世の中の道理や人間模様。それらを冷静に捉え、「たわ言」として実は本音を述べた手記。がん患者予備軍への指針となる書。 

 


すい臓がんから奇跡の生還―手術後7年の記録すい臓がんから奇跡の生還―手術後7年の記録
まさに死の淵!!ステージ4からの劇的な回復。医師への信頼、家族の支え、そして強い意志が力となった。主治医も驚く奇跡の回復力。

 

 

 

 


すい臓がん・悪性黒色腫を乗り越えてすい臓がん・悪性黒色腫を乗り越えて
肝臓に転移したすい臓がん、病期も最悪の4bと宣告されたが、抗がん剤治療で手術に漕ぎつけ、悪性黒色腫を併発しても地道に治療を繰り返し、とうとう「治ったとみてよい」との医師の言葉を得た。何が私を生きさせたのか? 治療内容や各種検査の数値も公表し、妻のがん死や自身の心境など、がん闘病について多角的に語った温かな手記。「がんを生きる」人々に読んでほしい一冊! 

 


がん闘病記読書案内―病気になった時に読むがん闘病記読書案内―病気になった時に読む

がん闘病記は1100冊出版されている。どけれを手にしたらいいか迷う人のためのガイドブック。

病気とどう向き合うかのヒントが得られるにちがいない。

「生きていた証を残すため」「辛さを吐き出すため」に約七割のがん患者が闘病記録を残している。生きることの意味を問う手記は患者・家族に必読。

闘病記おたくの闘病記」星野さんの闘病記がアピタルに連載中です。 


闘病記専門書店の店主が、がんになって考えたこと闘病記専門書店の店主が、がんになって考えたこと
乳がんで妻を失った自分を救ってくれたのは「闘病記」だった。同じ病で苦しむ人たちの声、苦しみの軽減方法、希望の持ち方、そして諦観のあり様を知りたくて、闘病記専門古書店を設立。約2800冊を読破した。そんな私が、末期の大腸がん患者となった今、“知りすぎた自分”と格闘する。 

 

【私のブログ記事】闘病者はなぜ書くのか?

柳田邦男の言葉を引用して、闘病者が書くことの意味を次のようにあげています。  苦悩の癒し 肉親や友人へのメッセージ 死の受容への道程としての自分史への旅 自分が生きたことの証の確認 同じ闘病者への助言と医療界への要望 私のこのブログは、上のどれにもしっくりとあてはまらないような気がします。あえていえば、3.の「死の受容への道程としての・・・」でしょうか。5.の 「同じ闘病者への助言」と言えるほどのことを書いてあるわけではないし、自分として考えたこと、学んだことをただ淡々と書いているだけですから、後は読む 人のそれぞれの受け止め方。参考にするもよし、無視するもよしです。私からは、    6. がんを通じて、生と死、生きることの意味を考える  を付け加えておきましょう。  『がんの闘病「初心者」は、2、3冊の闘病記を読めば、だいたいのことが分かる』と、星野さんは告知されて間もないがん患者には、闘病記を読むことを勧めています。  星野さんが、闘病記でもっとも影響を受けたのが立花隆の『がん 生と死の謎に挑む 』と近藤誠の『患者よ、がんと闘うな (文春文庫)』だそうです。 


がんになって、止めたこと、やったことがんになって、止めたこと、やったこと 2016/5/12

余命12か月宣告・・・大腸がんステージ4からわずか328日で劇的に「寛解」したがん生還者が実践した7つの習慣とは?

NHK番組に「死を前にして人は何を思うのだろう?」をテーマに出演した著者・野中秀訓氏。

2014年6月 ガン発覚。46歳、サラリーマンを辞めて独立後9年。

紆余曲折を経て、会社も軌道に乗り始め、事務所を移転した矢先に突然の腹痛・・・大腸がん、さらには肝臓、ウィルヒョーリンパ節、大動脈リンパ節転移も見つかり「ステージ4」と告知され余命12か月宣告を受ける。

「自分でがんになった責任は自分で取らなければならない」。

それからわずか328日で劇的に「寛解」したがん生還者(サバイバー)が実践したのは、遺伝子のスイッチを切り替えるための生活習慣の根本的な改善、すなわち超シンプルな「7つの習慣」だった。

「がんは生活習慣病です」「がんや心臓病、脳卒中といった慢性疾患の発症に遺伝子が関与する割合はわずか5~10%に過ぎない」(本書医療監修:斎藤糧三医師コメントより)

 

著者のブログ『癌になって、止めたこと、やったこと

Eテレ 『死を前にして人は何を思うのだろう?


ある臨床心理学者の自己治癒的がん体験記―余命一年の宣告から六年を経過してある臨床心理学者の自己治癒的がん体験記―余命一年の宣告から六年を経過して 2016/5/25
「ステージIVの告知から6年,私は「がん」とともに生きている」 本書は,スポーツカウンセラーとしてオリンピックにまで帯同した経験を持つ著者(臨床心理学者)が,みずからの壮絶ながん体験を告白。自己治癒のためのがんとのつき合い方を公開したものである。
まず,告知から手術をへて,西洋医学的標準治療からバイオ・サイコ・ソーシャル・スピリチュアルなホリスティック医療へと移行していく過程が詳しく語られる。そして著者は,臨床心理学者として自己の主体的努力を志向し,漸進性弛緩法,動作法,リラクセーション,自律訓練法,イメージ療法などさまざまなアプローチによって自己治療的な方法論を実践している。そして,この自己治療的体験が,生理学的にも心理学的にも著者の肉体に功を奏したのである。
こころとからだの調和を図ることによって,がんに対する不安や恐怖を取り除き,新しい自分を見いだすための希望の書。


「がん」と仲良く暮らす「がん」と仲良く暮らす
【私のブログ記事】『がんと仲良く暮らす』ひろさちや・佐藤昂

『がんと仲良く暮らす』で、ひろさちやはこう言います。生きることが厳しい砂漠の地から生まれたキリスト教は、人間は自然と闘って生きるために神から命を貰ったのだから、病気になれば病気と闘って生きる生き方が賞賛される。勝つために闘うのではなく、負けると分かっていても闘うことが賞賛されるのです。神は必ず味方をしてくださるから、勝ち負けは考えないで闘って生きなさい、というのがキリスト教、西洋の考えです。

東洋の考えは、病気になったら病人として生きよ。とうことですが、現在の私たちは西洋風の「闘って生きよ」の方に重きを置くようになってきたようです。壮絶な闘病記が注目を浴びるのはそんなふうに私たちの考えが変わってきたということなのかもしれません。私たち日本人の本来の生き方は、良寛さんの言葉を借りれば、

    災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。

    死ぬ時節には、死ぬがよく候。

    是ハこれ災難をのがるる妙法にて候

ひろさちやも同じ良寛の言葉を引用して、「がんになれば、がんになるがよく候です。がん患者として生きるほかないのだから、がん患者として生きればよいのです。」と言います。私は更にこう言いたいのです。「是ハこれがんをのがるる妙法にて候」

がんになったらがんを受け入れる。死ぬときが来たら死を受け入れる、そんな心の有り様になったとき、身体の免疫力が高まり、がん細胞が小さくなっていくに違いないのです。がんを恐れ、死を恐れてびくびくと生きるのではなく、笑ってのんびり生きる、これががんと闘う妙法です。

どのような生き方をしたいのか、これを決めるのが先であり、そのあとにどんな治療を受けるかを決めるべきです。どんな副作用や苦痛も我慢して、使える限りの抗がん剤を使って数ヶ月あるいは数年の命を延ばす方を選ぶのか、がんをありのまま受け入れて、死ぬ時を決めるのか天命、それまでの時間を有意義に過ごす方を選ぶのか、ということでしょう。

「残された時間を有意義に過ごす」。このことばも闘病記やいろいろのところで聞かされます。でも「有意義な人生」ってなんでしょうか。


雨上がりに咲く向日葵のように ~「余命半年」宣告の先を生きるということ雨上がりに咲く向日葵のように ~「余命半年」宣告の先を生きるということ

余命宣告を受けるも懸命に生きる姿がTVで話題の山下弘子さん、初の自著!

19歳で、2キログラムにもなる巨大な肝臓ガンを患い、「余命半年」宣告を受けた山下弘子さん。

その後、ガンの再発や肺への転移を経ながらも、生きる希望を失うことなく、全国で講演をしながら、全力で生きる!

その姿が、数々のニュース番組でも取り上げられて、話題になっています。

本書は、そんな彼女の初の自著!「死」と直面した彼女が辿りついた「幸せ」の境地とは?

山下弘子さんのブログ『今を生きる


どーもの休日―元NHK記者と家族の“末期がん闘病記”どーもの休日―元NHK記者と家族の“末期がん闘病記”

 

【私のブログ記事】どーもの休日

膵臓がんで、生まれた歳も同じ1948年の近藤彰さんは、ブログ「どーもの休日」を書かれていた方。最後のブログにはこう書かれていた。

    すい臓がんの末期患者になってから始めたこのブログもいよいよ最終回である。

    本音を言えば、せめて70歳までは、せめて子供が結婚するまでは生きていたかった。その意味では誠に残念・無念である。

    しかし運命には逆らえない。あの世にもいろいろ事情があるのだろう。そう思って少しは明るい気分で逝くことにしたい。

    (中略)

    末期がん患者になって心配したのはウツになり人生の晩年を暗い気持ちで送ることであった。振り返ってみると幸いなことに極端なウツ症状はなく比較的穏やかな精神で生活が送れたのではないか。そう思っている。(中略)

    立派に生きていくのは難しいものだが、立派に死ぬのもなかなか難しいもの。

    若い頃から無常観について惹かれて関心があったのも少しは悟りに役立ったかもしれない。(中略)

    本当にありがとうございました。皆様のご多幸を祈念しております。さようなら。


大学教授がガンになってわかったこと (幻冬舎新書)大学教授がガンになってわかったこと (幻冬舎新書)
一度目の大腸ガンは早期発見し手術もうまくいったのだが、四年後に膵臓ガンを発症。現在抗ガン剤治療中の大学教授が、この二度のガン患者経験を踏まえて、病院を選ぶ時、ベッドが空かなくて入院できない時、セカンドオピニオンがほしい時、執刀医の実力を知りたい時、主治医と合わない時、抗ガン剤をやめたくなった時、いじわるな看護師に当たった時、どう考えどう振る舞うべきかをレクチャー。「先生にお任せ」ではなく、自分で決断する「賢いガン患者」になるための手引き書。 

近藤誠氏のセカンドオピニオン外来を受けたときの経験が秀逸で笑ってしまう。

 

【私のブログ記事】大腸がんと膵臓がんの経験をした大学教授の本

近藤氏は、

K先生は、私の顔をあまり見ず、また膵臓の状態もあまり聞かずに、データもほとんど見ずに、顔を両手でこすりあげながら、言いました。

「膵臓ガンは手術しても助からない。手術はしなくてもいいでしょう。

まあ、そのままにして余命に任せるのがいいでしょう。」

とのご託宣です。案の定です。紹介状も検査結果もなくてもよいとの評判ですからね。データも見ないのならそりゃ必要ないですわ。


がんと明け暮れ―記者が綴る10年の記録がんと明け暮れ―記者が綴る10年の記録
2013年春から夏まで50回にわたり、東京新聞と北陸中日新聞に掲載され、大反響を呼んだ「がんと明け暮れ―記者が綴る10年の記録」が待望の書籍化。新聞で書き切れなかったがん体験のエピソード、記者物語、ジャーナリズム論などを大幅に加筆。今や2人に1人ががんに罹ると言われている時代―。筆者は胃、食道、咽頭などあちこちに発症しながら10年生き、現在も元気そのもの。ペンとフラメンコギターを抱えて、取材に遊びに海外まで飛び回る。そんなジャーナリストの人生航路!! 

 

【私のブログ記事】がんと霊(スピリット)、奇跡的治癒

何が何でも治りたい、という気持ちは理解できます。しかし、それが強すぎると治ることは希である、ということになりかねません。奇跡的治癒は、それを目的にしている人には決して訪れることがないのでしょう。

12カ所の多重癌を経験した、東京新聞の元編集委員、村串栄一さんは『がんと明け暮れ―記者が綴る10年の記録』でこう達観している。

なるようになるなら、なるようにする。

なるようにならないなら、成り行きにまかす。

治るか治らないかは、「成り行き」なのです。やるべきとことやったら、成り行きを受け入れる。こうした心(マインド)で、”今ここに”ある瞬間を大切に生きる手法が瞑想なのでしょう。


転移 (朝日文庫)転移 (朝日文庫)

膵臓がんになった著者の、亡くなる前日までの闘病記。

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しかし、最後の1ページを見た時、それらの全てを肯定的に捕らえ直すことができるような気がした。そう、ヒトそれぞれの人生だ。自分の価値観で必死に生きたことには違いあるまい。それでいいじゃないか、と思えるのだ。肝臓に転移した膵臓がんに「ガン太郎、ガン次郎、ガン三郎」という名前を付けて、「大きくならないでおとなしくしていてね」と語りかける彼女は、死ぬことを受け入れようとしながらも、やはり「生きたい、生きたい」と思い、最後に見た大崎の桜を来年も見ることを夢見ていた。

 

【私のブログ記事】中島梓と良寛の死

癌は一般に死ぬ直前まで意識がはっきりしていると言われるが、本当にその状況が、苦しくて、だるくて、激痛ではないがずっと続く痛みが生きようとする意欲を萎えさせるということが、記録から伝わってくる。亡くなる数日前は、ご主人も癌で手術をするという苦境のさなかに命の火が消えていくのが、心残りだったに違いない。  読み始めた時は、「やっぱり私は贅沢が好きだ。きれいな場所、贅沢な場所、おいしいもの、きれいな着物、ちやほやされること、大事にされること、VIPとして扱われること・・・・そういうことがとても好きなのだ」という言葉に「違うんじゃない?」と感じたりした。経済的に苦しい状況でも高価な着物を衝動買いしたりすることにも呆れたりした。


多重がんを克服して―体験的治療学多重がんを克服して―体験的治療学
元朝日新聞記者の著者が最初のがんに見舞われたのは『週刊金曜日』の社長の時だった。多忙な日常の中、衝撃を受けながらも著者はジャーナリスト精神を発揮して、がんの正体に肉薄していく。その“内視鏡”は自らの心理をものぞきこんで迫力がある。二度、三度と襲ってきた病魔と闘った著者のこのドキュメントは、がんに見舞われた人はもちろん、見舞われない人にも欠かせない貴重な「用心と安心のガイドブック」である。 

 


余命半年から生きてます!面白いほど不運な男の笑う闘病記余命半年から生きてます!面白いほど不運な男の笑う闘病記
働き盛りの47歳の年末、突然上咽頭がんを告知された。外科手術が不可能な部位のがんのため、抗がん剤と放射線で治療をするも、地獄の苦しみ。そして、闘病5年目、再再発と余命半年を宣告される。もう、治療やめちゃおうかな……、生きるの諦めちゃおうかな……。そんな矢先、単身赴任のため、離れて暮らす妻が、倒れて緊急搬送、目が覚めたら記憶喪失になっていた! 妻は統合失調症だったのだ。しかも、息子は、学習障がい児でひとりで置いておくことはできない。泣く泣く仕事を辞めて、がん患者から一変、妻の介護と子育てをする専業主夫になる。この、ありえないほど不運な人生、もう明るく笑い飛ばして生きるしかない。そう決心し、治療もやめ、日々前向きに生きるがん患者の笑えて泣ける、闘病記。余命宣告されてから、1年10ヶ月、生きてます!


がんフーフー日記 (小学館文庫)がんフーフー日記 (小学館文庫)

笑って生きた、ある夫婦のがん闘病ブログ

長年の友人関係にあったふたりは、2009年3月に入籍。川崎に新居を構えた。そして1か月後の4月に妊娠が発覚。どこにでもあるような新婚生活を過ごしていた。

ところが、体調不良を訴え続ける妻が検査を受けた同年9月、腸に悪性の腫瘍があると、告げられる。リンパ節の転移もあり、第3期だった。そして妊娠9月目で、帝王切開で長男を1481グラムで出産。

その後、妻の病状は、徐々に悪化し、抗がん剤治療などの副作用に苦しみ、実家の福島県いわき市に戻る。友人たちのサプライズパーティーなどもあったが、2010年7月に38年の生を閉じた--。

通常、闘病を綴った内容のものは、どうしても「生き死に」の問題が絡んでくるため、ある一定の悲壮感に包まれてしまうものになると思われますが、この本からは、その伸びやかな人柄があらわれているのか、患者でもあるが多くの友人にも囲まれ、最期までマイペースで自分らしさを失わず、きちんと生をまっとうしたひとりの女性の有り様が、読む者の心に浮かんできます。

名もなきある主婦の最期を、刻々と移り変わる状況のなかで夫が描き取った「10か月の生の記録」を単行本として加筆、改稿し、一冊の本にまとまたものです。


がんはスピリチュアルな病気 ―がん患者と愛する家族のための心と体の処方箋―がんはスピリチュアルな病気 ―がん患者と愛する家族のための心と体の処方箋―

「ガン患者によるがん患者のための最高傑作」

米国患者団体「キャンサーマウント」創設者が絶賛

自分だけでなく、妻、両親、弟妹、娘、孫までがんになったことで、

全力でそれに向き合った牧師のユーモアあふれる癌克服の記録。

「がん患者として」の著者の経験、「がん患者の家族として」の著者の経験を、

それぞれ経過ことにまとめた型破り牧師の元気の出るメッセージ。

自分の状況にあった内容、気づきが必ず見つかります。

「マクファーランド氏の温かくて親しみやすく、ユーモアあふれるエッセイは

最高の勇気づけになる。その優しく、美しく、爽快なまでに簡潔な語り口からは、

希望のメッセージが伝わってくる。心を癒す糧として、少しずつかじるもよし、

フルコースで楽しむもよし。

本書は、この病気を経験したすべての人たちにとってすばらしい贈り物になる」

――ロリ・ホープ、元ガン患者、講演家

【私のブログ記事】「結果」を「目的」にする過ち


最後の授業 ぼくの命があるうちに (ソフトバンク文庫)最後の授業 ぼくの命があるうちに (ソフトバンク文庫)

全米600万人が涙した、ある大学教授の「最後の授業」

今日の次には明日が来て、その先にも新しい日が待っている。そうやって、当たり前のように人生は続いていく。しかし、これから先もずっと続くと思っていたその人生に「終わりの時」があると知ったとき、あなたは何を考えるだろうか――。

2007年9月18日、ペンシルベニア州ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学の講堂で、1人の教授が「最後の授業」を行った。

教授の名前はランディ・パウシュ。46歳。最後の授業をするにはまだ若すぎるパウシュだが、彼にはこのとき、長年親しんだ大学に別れを告げざるをえない事情があった。膵臓から肝臓へと転移したガン細胞。医師から告げられた命の刻限は――「あと3カ月から半年」。

こうしてパウシュの最後の授業は始まった。スクリーンに映し出された演題は『子供のころからの夢を本当に実現するために』。それは、「最後の授業」であると同時に、幼い3人のわが子に遺すためのメッセージだった。


がん患者がん患者

「ステージ4」のがん患者、心と体の全記録!

2005年9月に大腸がんが発覚した鳥越俊太郎。腹腔鏡下手術を受け、仕事に復帰するものの、肺と肝臓への転移を繰り返し、これまでに、4回の手術を受けた。大腸がんのステージは「4」。

人間は、自分ががんに侵されているとわかったとき、何を考え、治療ではどのような難問に遭遇し、何を痛み、どのような辛さを抱えて生きて行くのか? そのとき最も身近にいる家族は何を思うのか?

自分ががん患者になった以上、冒頭にあげたような疑問に応えようと思った。(あとがきより)

手術、リハビリ、現場復帰、抗がん剤との戦い、転移――。

その時、鳥越は、家族は、医者は何を考え、どう動いたか。

事実を追い詰めることを職業としている「取材者・鳥越」が、「がん患者・鳥越」を冷徹に観察し、記録した、がん患者の真実の書。


手術は、しません―父と娘の「ガン闘病」450日手術は、しません―父と娘の「ガン闘病」450日
食道ガン発覚後も手術を拒否した奔放な父と、そんな父に振りまわされながらも献身的に見守る娘。告知、放射線治療、一進一退の症状、転移、そして家族に「遺されたもの」―病と向か合いながらそれぞれの思いを綴った、すべての親子必読の闘病記。

 

 

 


おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒―江国滋闘病日記 (新潮文庫)おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒―江国滋闘病日記 (新潮文庫)
食道癌告知、十時間余の大手術、水一滴飲めぬ六ケ月間に綴られた日記と詠み続けられた俳句は、壮絶で粋でさえあった。敗れはしたけれど闘いきった187日、闘病俳句223句を収録。表題は「敗北宣言」と題された辞世句。

 がんを告知されたときの句

    残寒や この俺が この俺が癌

には胸を突かれた。


がん患者学〈1〉長期生存患者たちに学ぶ (中公文庫)がん患者学〈1〉長期生存患者たちに学ぶ (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

現代医療から見離された患者たちは、何を考え、いかに生きてきたのか?手術、抗がん剤、放射線治療などによる医療のみが、がんからの生還の道なのか…?自らががん患者となり、三年間の闘病生活を体験した著者が、長期生存患者を訪ね、ともに苦悩し、ともに思考した、渾身のノンフィクション。

内容(「MARC」データベースより)

代替療法は有効か? 医療の限界は越えられるのか? ノンフィクション作家が自らのがん体験を記録し、専門家とともに思考し、患者のこころで聞く。がん、もう一つの最前線。

【私のブログ記事】「百万回の永訣」再放送 「百万回の永訣」を見て

 

がん患者学〈2〉専門家との対話・闘病の記録 (中公文庫) がん患者学〈3〉がん生還者たち―病から生まれ出づるもの (中公文庫) 百万回の永訣―がん再発日記 (中公文庫)

 

 

 

 

 

 

 


がん六回 人生全快 (講談社文庫)がん六回 人生全快 (講談社文庫)

日本対がん協会 常務理事 関原 健夫さんの闘病記。

39歳、働き盛りの銀行員としてNY駐在中に大腸がんを発症した著者。肝臓や肺への転移を繰り返し、6回の手術に加え、心臓バイパス手術も受ける。すべてを乗り越え、「奇跡の患者」として64歳を迎えられた理由とは。16年の闘病記に、その後の心臓疾患、がん患者たちとの交流や、日本の対がん活動などについて加筆。 

【私のブログ記事】「がんと免疫


わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 (文春新書)わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 (文春新書)
精神科医にして新聞の人生相談で人気の著者が、五十二歳で直腸ガンになった体験記。初期症状から検査・手術・抗ガン剤治療などを詳細にレポートし、そこで見えてきた諸相を本音で分析する。病院は医者のためにある、手術は必要悪、インフォームド・コンセントの功罪、民間療法や健康法の意味、予防の限界などをドライに見つめた最後に、近づく死を覚悟したときの精神世界を描く。

 

【私のブログ記事】「Twitterと連携してみたら・・

頼藤氏は、この本が完成した直後に亡くなるのだが、死を覚悟した元外科医で精神科医の信条がペーソスを持って語られる。抗ガン剤も1クールで副作用の激しさに「抗がん剤で殺されるなら、がんで死んだ方がまし」と止めてしまう。潔い死に様だと、手本にしたいくらいだ。うまく手本にできるかどうかは、私はまだ死んだことがないから分からないが、「ガンにならないためだけに捧げた一生」なんてつまらないというのは、わたしの気持ちにぴったりだ。

 

「生きていることは、健康に悪い」至言である。


がんから5年 (文春文庫)がんから5年 (文春文庫)
40歳で突然、虫垂がんと告知され、手術・入院から約5年。治癒の目安とされるその日を前に、心は揺れる。食事療法や漢方医院通いは今まで通り続けながら、仲間と“希望”や“これから”を語りあう日々の中、“がんから5年”で見えてきたものは。2010年7月に亡くなった故・竹中文良先生との対談「がんと心の処方箋」も収録。

 

 


紅梅 (文春文庫)紅梅 (文春文庫)

舌癌の放射線治療から一年後、よもやの膵臓癌告知。全摘手術のあと夫は「いい死に方はないかな」と呟き、自らの死を強く意識するようになる。一方で締切を抱え満足に看病ができない妻は、小説を書く女なんて最低だと自分を責める。吉村昭氏の闘病と死を、作家と妻両方の目から見つめ文学に昇華させた衝撃作。


【私のブログ記事】吉村昭の闘病記『紅梅』

『紅梅』は、小説の形をかりてはいるが、膵臓がんで2006年7月に亡くなった吉村昭と家族の壮絶な闘病記になっています。舌がんの治療中のPET検診で膵臓がんが見つかった。腫瘍は膵体部にあり、幸い早期の発見だからということで手術をするが、開けてみたら膵臓の全体に小豆のような腫瘍が散らばっており、結局は膵臓全体と十二指腸、胃の半分を取る膵頭十二指腸切除術となったのでした。幸い他の臓器やリンパ節への転移はないから予後はよいだろうとの予測にもかかわらず、4ヶ月後に腹膜あたりのリンパ節に転移が見つかります。

主治医の勧めで、瀬田クリニックの免疫細胞療法を受けるのですが、すでに末期がんとなった状態ではほとんど効果はなかったようです。吉村昭はある作品で延命処置について

    幕末の蘭方医佐藤泰然(順天堂塾創設者)は、自らの死期が近いことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物をも断って死を迎えた。いたずらに命ながらえて周囲の者ひいては社会に負担をかけぬようにと配慮したのだ。その死を理想と思いはするが、医学の門外漢である私は、死が近づいているのか否か判断のしようがなく、それは不可能である。泰然の死は、医学者ゆえに許される一種の自殺と言えるが、賢明な自然死であることに変わりはない。

と紹介しています。遺書も書いて死の準備を終えた吉村昭は、日記にもやはり泰然のことを記して、

    幕末の蘭方医師佐藤泰然 死期を悟り、高価な薬品滋養のある食物を断ち、死す。理想的な死。

    昨日死のことを考える。死はこんなにあっさりと訪れてくるものなのか。急速に死が近づいてくるのが分かる。ありがたいことだ。但し書斎に残してきた短篇に加筆できないのが気がかり。

と、死期が確実に判断できるのだと言っています。

 

そして手術から半年過ぎたある日、突然点滴の管のつなぎ目を外し、中心静脈に入れたカテーテルと胸に埋め込んであるカテーテルポートをむしり取る行動に出る。看護師や家族の静止に、末期がんの病人とは思えないような激しい力で抵抗する。延命治療を望んでいなかった夫の強い意志に、夫人も娘も「もういいです。」と涙声で看護師に告げるのです。そして数時間後に他界します。佐藤泰然のような死を選んだのです。


遍路みち (講談社文庫)遍路みち (講談社文庫)

楽しいことも嬉しいこともあったはずなのに……悔いのみを抱いて生きてゆく遍路みち

夫・吉村昭氏の死から3年あまり、生き残ったものの悲しみを描く小説集

洗面所のコップの中の2本の歯ブラシを見ると、1本も虫歯のないことを自慢していたことを思い出した。夫の母親が、おまえは口もとがいいね、と言っていたという話をからかいながら口にすると、かれはふざけて口角を少し上げて笑ってみせた。育子はその笑顔を思い出して嗚咽した。――<「遍路みち」より> 


新・がん50人の勇気 (文春文庫)新・がん50人の勇気 (文春文庫)
迫り来る死を前に人はいかに生きるか―昭和天皇から本田美奈子まで、がんと向き合った作家・俳優・音楽家・学者・僧侶・企業人、五十余名の「生と死」のかたち。最期の瞬間まで生を全うした感動のドキュメント。 

 

 

 


がん「余命半年」からの生還―患者と家族のための実践マニュアルがん「余命半年」からの生還―患者と家族のための実践マニュアル
2002年(平成14年)、末期の子宮頸がんで「余命半年」との宣告を受ける。以後、リンパ節や脳を含め九度の転移を体験。その間、放射線治療・抗がん剤治療・脳の開頭手術・免疫療法などさまざまな治療を受ける。自らの足で多くの医師と会い、自らの目で治療法を探し、自らの意志で治療法を選択し続け、体内に次々に生じた数え切れない固形がんを科学的な治療で完全寛解させ、現在、健康体。通常二~三度の転移があると死に至るケースが多いため、一人の患者が、このようにさまざまな治療を経験することは希有といわれる。


がんと闘った科学者の記録 (文春文庫)がんと闘った科学者の記録 (文春文庫)

私は他人の闘病記は読まない、まして闘病の結果亡くなってしまった方のブログは読まないことにしています。しかし戸塚さんのブログは、私も同じ物理学を学んだ(といっても世界的な物理学者と比較するのは不遜ですが)者として、また同じ大腸癌だということもあり、興味を持って読んでいます。(まだすべてを読んではいませんが)

やはり科学者ですね。自分の癌のCT写真をデジタル化して、腫瘍の大きさを計測してグラフ化したり、抗がん剤の投与と腫瘍の大きさの関連性を論じてみたりと、科学者が故にデータを駆使して考察しようとする姿が書かれています。病院からいただいたエックス線写真をビューアーの上に載せてデジカメをマクロモードにして腫瘍の写真を撮っています。私もまったく同じことをしています。Ca19-9やCEAの数値もExcelで時系列的に追っかけています。

冷静に自分のがんを見つめ、「私はがん克服を人生目標にしているのではありません。がんを単なる病気の一種と捉え、その治療を行っているに過ぎません」と言い切ります。勤務地の近くの草花や木々のこと、教育のことなどへの言及もおおく、闘病記と言うよりはエッセイと言えると思います。

壮絶な闘病記で、研究者としても立派な業績を残され、がんと正面から闘った姿には感動します。

【私のブログ記事】


生きる。―がんと向きあう7人のストーリー生きる。―がんと向きあう7人のストーリー
がんと向きあう経験を通して、気づいたこと、考えたこと、感じたこと。「生きる」ことへの想いがこめられた7人の物語。

井上 怜奈, 鳥越俊太郎, 猿渡瞳, 加藤大基, 青島幸男, より子, 小橋建太 

 

 

 


余命半年以内「激痛が襲う末期のがんをいかに克服したか」余命半年以内「激痛が襲う末期のがんをいかに克服したか」

内容(「BOOK」データベースより)

手術も抗がん剤も放射線もやらず、通院自宅療養で見事克服。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

松井/清

昭和16年生まれ。北海道富良野市出身。岩手大学農学部総合農学科家畜飼料学専攻。馬術部にて、寝食・勉学を忘れて活動・活躍、第19回新潟国体にも参加。卒業と同時に、動物用薬品メーカーに入社。家畜の飼料設計や経営改善等、コンサルティングセールスに徹し、年間売上げ8.8億円を達成し、業界トップのセールスマンとなる。36歳で取締役になり、販売会社の社長を務めている57歳のときがんになり、がんを克服して定年になり、退職する。


余命一年 落語家になる ~楽しいことはラクなこと~余命一年 落語家になる ~楽しいことはラクなこと~
2007年8月、当時36歳の著者は「がんで余命一年」と宣告された。残り少ない時間をどう過ごすか?著者が選んだのは、「アマチュア落語家として笑いを届けて」生きること。そして自分も「家族と一緒に毎日を慈しみ、楽しみながら最期の瞬間まで笑って生きる」ことだった。テレビ朝日「報道発ドキュメンタリ宣言」で反響を呼んだ、アマチュア落語家・天神亭楽々の壮絶な闘病と落語への情熱をまとめた半生記。

 

【私のブログ記事】余命一年 落語家になる

37歳の若さでステージⅣの十二指腸がん、膵臓がんになり、余命一年 未満と告げられた街道徳尾さんの本『余命一年 落語家になる~楽しいことはラクなこと~』があります。告知後は部屋に閉じこもっていた著者が、「一年でやりたいことは何だろう?」と考えたとき、気になった新聞記事をきっかけに落語家養成講座に入門。5歳から7回の手術、膵頭十二指腸切除術は8回目。「もう辛いことはたくさん、これからは楽な、楽しいことだけを」との思いでアマチュア落語家になります。

 彼女も「がんになって良かった」と感じている患者のひとりです。もちろん「よかった」という思いだけがあるはずはなく、辛いこともいやなことも、後悔もあり、しかし、やはり『がんになって良かった」という部分が、確かに私にもあります。がんにならなければやらなかったこと、「いつかはきっと」と考えていたことを、がんの告知を受けて残されて年月を考えたとき、思い切って踏ん切りを付けてできることがあります。これが脳卒中だとか交通事故であれば、そんなことを考えている時間はありません。また、「死とは何か」「ヒトはなぜ生きているのか」など、人生や生命についても考える時間的余裕があります。だから、私も「がんになって良かった」と思うひとりです。


負けない!泣かない! 膵臓がん闘病記負けない!泣かない! 膵臓がん闘病記
三年半の「拾った命」の軌跡を赤裸々に綴る。

 

 

 

 

 


病を与えられる、ということ病を与えられる、ということ
がん患者は人生の敗北者なのか、病気や苦悩を抱えることは、人生においてマイナスでしかないのか?…がんを宣告され絶望の淵に立たされた著者が、一人の医師として、患者として、そしてキリスト者として、その心理的葛藤のなかからみえてきたものを、片意地を張らない筆致で綴った闘病記。

 

 


がんを抱いて「9条の会」がんを抱いて「9条の会」
老いを生き、病と向き合う日々。平和への希求は、なお強くこの身に宿る。85歳の乳がん体験記。

 

 

 

 


末期ガンになったIT社長からの手紙 (幻冬舎文庫)末期ガンになったIT社長からの手紙 (幻冬舎文庫)

IT(情報技術)業界で大きな成功を手にした若手起業家が、ある日「末期ガン、余命数カ月」の宣告を受けた。物質面、金銭面では「もう望むものはない」などと達観したかのようなそぶりを見せる著者。しかしその一方で、「結婚がしたい。子供を残したい」と生への未練を包み隠さず吐露する。

最初のガンの発見と手術から1年半後に再発が判明し、余命宣告を受けたのは今年の1月だ。6月現在も、著者は「メディアとネットの融合」を目標に事業運営を続けている。本書の最終章では、実務の事業計画書を模して作った「人生の総仕上げ」を公開。IT業界と今後のガン治療発展のために、自分ができることは何かを冷静に見つめ、率直な言葉で綴る。


ある科学者の闘病の軌跡―進行前立腺がんと共に十六年ある科学者の闘病の軌跡―進行前立腺がんと共に十六年
進行性の前立腺がん患者が長期間生存し闘病生活を乗り越えてきたことの記録。著者の人生の軌跡において得た人生に関する随想も記載されている。

 

 

 

 


ガン日記―二〇〇四年二月八日ヨリ三月十八日入院マデ (文春文庫)ガン日記―二〇〇四年二月八日ヨリ三月十八日入院マデ (文春文庫)

中野孝次の『ガン日記』は食道がんの告知を受けてから入院するまでの日記ですが、公表や出版されることを予期していない日記で、彼のがんや死に対する考えが、直向きに記されています。

    運命は、誰かに起こることは汝にも起こるものと覚悟しおくべし、自分の自由にならぬもの(肉体もしかり)については、運命がもたらしたものを平然と受けよ、できるならば自らの意志で望むものの如く、進んで受けよ、とセネカは教う。

と、『セネカ 現在人への手紙』が最後の出版となった中野孝次らしく、セネカに親しみ、その死に対する心構えに共感してきた彼は、告知の最初にはこのように受け止めようとする。座椅子に座り、庭の草木や小鳥を眺めていると、

    すべてこともなく、よく晴れ、風もなき冬の午後にて、見ているとこれが人生だ、これでいいのだ、と静かな幸福感が湧いてくる。

しかし、紹介された大病院で余命一年と告げられ、治る見込みのない高齢のがん患者はいかにも迷惑だと言わんばかりの医者の態度に、「病院と現代医学への嫌悪、この日きわまる」と日記に記し、別の病院を探すことになる。誰彼の紹介によっていくつかの病院を転々として、結局は最初の病院に入院することになるのだが、その間に時間が経ち、病状も悪化していったようだ。在宅での死を望んでいた彼は、末期のがん患者を介護しなければならなくなる老妻のことをおもんばかって、「抗がん剤の地獄を耐えよう」と決心したうえの入院だった。

【私のブログ記事】中野孝次『ガン日記』を読んで思ったこと


打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)
米原万里全書評1995‐2005。絶筆となった壮絶な闘病記(「私の読書日記」週刊文春)を収録した最初で最後の書評集。 

活性化自己リンパ球療法・ハイパーサーミアなどの代替療法の体験談もある。

 

【私のブログ記事】 「代替療法について考える(1)

卵巣癌で亡くなった米原万里さんの『打ちのめされるようなすごい本 』に(本のタイトルも「すごい」ですが)、「癌治療本を我が身を以て検証」という章があります。週刊文春に亡くなった年の2006年に掲載されたものですが、ここに米原さんが実際に体験された代替療法について、辛辣に書かれています。  金を返すからこう来なくていいと言われたのが2件、自分からもらった薬を段ボール箱に入れて送り返したり、まさに「お笑いがん治療」とでもいうべき内容です。爪をせっせともんだってがんが治るはずがないのに、米原さんでさえ騙されてしまうのですね。これから代替医療に命を預けようかと考えているがん患者にとって、大いに役立つかもしれません。